ここ最近、ニュースやSNSを見ていると、新しいテクノロジーの話題を目にしない日はありません。特に「生成AI」と呼ばれる技術の進歩は目覚ましく、ほんの数ヶ月前にはできなかったことが、今日には当たり前のように実現されていることも珍しくありません。

私自身、こうした技術の進歩には以前から関心を持っていました。しかし、正直なところ、最初に現在の高性能なAIに触れたときは、便利さよりも「怖さ」のようなものを感じたのを覚えています。文章を一瞬で作成したり、人間が描いたような絵を数秒で出力したりする様子を見て、「ここまで来ると、人間が自分自身で考えることの意味が薄れてしまうのではないか」という漠然とした不安を抱いたのです。

そんな少し身構えた状態で、恐る恐る日々の作業にAIを取り入れてみることにしました。実際に使ってみて感じたのは、当初抱いていた「完璧すぎて怖い存在」というイメージとは少し異なる、意外な一面でした。

AIは確かに膨大な知識を持っていますが、こちらの問いかけが曖昧だと、返ってくる答えもどこかピントがずれたものになります。また、時には堂々と間違った情報を伝えてくることもあります。そんな様子を見ているうちに、私はAIに対して「冷徹な管理者」ではなく、「優秀だけれど、たまにうっかりする新人アシスタント」のような親近感を覚えるようになりました。

この感覚の変化は、私にとって大きな発見でした。テクノロジーに使われるのではなく、あくまで道具として、あるいはパートナーとしてどう関わるかが重要だと気づいたからです。

また、AIと対話をするようになり、自分自身の「言葉にする力」が試されているようにも感じています。自分の頭の中にあるイメージや要望を、的確な言葉で伝えなければ、AIは期待通りの動きをしてくれません。テクノロジーに頼ることで思考力が落ちると思っていましたが、実際には「どう伝えれば相手(AI)に伝わるか」を必死に考えるようになり、以前よりも言語化について意識する機会が増えたのは面白い皮肉だと感じています。

これから先、テクノロジーはさらに生活の深い部分に入り込んでくることでしょう。新しい技術が登場するたびに戸惑うこともあるかもしれませんが、過度に恐れたり、逆に盲信したりすることなく、適度な距離感を保ちながら付き合っていきたいものです。

「便利になったけれど、やっぱり最後は人間が決めるんだな」。そんなふうに、自分の役割を再確認しながら、この激動の時代を楽しんでいけたらと考えています。